2016.12.05 |IMABARI LIFEインタビューVol.2 岡田美里さん(前編)

女の人がしあわせになれば、
社会がしあわせになると思う。

岡田 美里

MILLIE OKADA

名誉タオルソムリエ。モデル、デザイナー、刺繍講師、料理講師、日本紅茶協会名誉ティーインストラクターなど、多岐に活躍。元祖カリスマ主婦と呼ばれ、女性の暮らしを豊かにするさまざまな活動に携わる。デンマーク人の祖母を持ち、デンマークブランド『ハウス・オブ・アンバー』の取締役でもある。アトリエミリミリ主宰。デンマーク日本外交150周年アンバサダー。

自分でつくる野菜は、美味しいし、かわいい。

今回、ご自宅にお邪魔させていただきましたが、今年引っ越されたんですよね?

岡田美里さん(以下、敬称略):はい。今年3月で下の子が大学を出て、娘が2人とも独立したことがきっかけで。
いままでずっと渋谷区にいたんですけど、もう年齢も年齢なので、のんびり過ごそうと思って。

すごく素敵なところですね。畑仕事もなさってるとか。

岡田:貸し農園が近くにあって、そこにテーブル二つ分ぐらいの農園を借りています。

ご自身が食べるお野菜をつくっているんですか?

岡田:はい。ナス、ピーマン、トマト、ツルムラサキ、空芯菜とか。

7月に引っ越して来て、すぐ畑を借りたんですけど、7〜8月、2ヶ月の間で、スーパーで買った野菜は人参1袋と、玉葱1袋と、キャベツ半分だけ。あとは全部、自分の畑で採れたものを食べていたんです。

けっこう頻繁に畑仕事なさってるんですか?

岡田:毎日は行かないですけど。疲れてる日なんか、そのまま休めばいいのに畑に行っちゃったり。でも行くと、逆に疲れが取れるんです。なんだか癒される。汗でびしょびしょになって帰って来たりするけど。畑は楽しいです。

やっぱり美味しいですか?

岡田:美味しいし、かわいい(笑)。あと、心配。ちょっと雨が続いたりすると。だから今日は気分がいいんです。晴れてるから。

畑で取れたらっきょうと、紫蘇の塩漬け。

写真:畑で取れたらっきょうと、紫蘇の塩漬け。

「私にできる仕事はひとつもない」と
気づいたとき

ものづくりがお好きですよね。昔からそうだったんですか。

岡田:はい。小学校の頃から。編み物も、縫い物も、料理も。

それがいまのお仕事につながってる感じですよね。

岡田:そうですね。36歳のとき、いろんなきっかけがあって、アトリエを持ちました。ひとつは、まだ結婚していたとき、すごく忙しいお家だったから、自分の居場所が欲しかったんですよね。それで意味もなくアトリエって言葉に憧れていたんです。

もうひとつは、子供に説明するとき。ママが今日どこで何していたか、いくら「どこどこのスタジオで撮影して」なんて言っても、そこがどこだかわからないと、なんだか不安そうだったんですね。それで「ママはここでお仕事してる」って自分の目で確認できるところに変えようと思ったんです。

それから、その頃ちょうど、妹が持っていた『とらばーゆ』って求人誌を見たら、すべてのページのなかで、私ができる仕事はひとつもないことに気が付いたんです。

そんなこと考えた時期もあったんですか?

岡田:本当に探していたわけじゃなくて、空想ですけど。この雑誌一冊の中で私が出来る職業は何だろうって思って見たら、ひとつもない。「じゃあ私って、何が出来るんだろう」って考えたときに、料理スタジオや、手作りの教室、他がどこもやっていない文化教室みたいなものなら出来るかも知れない、というところに至ったんです。

それでアトリエミリミリが始まったわけですね。美里さん、いまのカリスマ主婦の走りですよね。

岡田:そうそう、一番最初に『女性自身』からカリスマ主婦って呼ばれたの、私なんですよ。

まさに元祖なんですね。

岡田:最初、「何? カリスマ主婦?」って(笑)、自分でびっくりしました。

いまもすごく熱心な美里さんファンいますものね。
それはやっぱり、ご自分で手を動かして作ったり、そういうところが憧れられるのでしょうか。

岡田:主婦目線な仕事が多かったからでしょうか。
昔は『マダム』や『ミセス』などの雑誌の後ろのほうに洋服の作り方ページがあったんですけど、そういうページで、自分でデザインをしたり、ニットの製図を作ったり、そのついでに表紙にも出て、みたいな。モデルというより、そういう仕事がいちばん多かったんです。
あとはあんまりメディアに出てないから、皆にどこかで「この人ちゃんとやってるんじゃないかな」って思い込まれてるんですね。全然やってないんですけど(笑)。

今治タオルの成長を、
お母さんみたいな気持ちで見ていました。

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美里さんには、2006年から名誉タオルソムリエもやっていただいていますが。

岡田:はい。今治タオルとはそれより前からのご縁なんですけれど。以前、広尾に小さいエプロンのお店をやっていたんですよ。そこに今治の方が飛び込みで「美里さんプロデュースのタオルを作りたいんですけど」っていらしたの。それが、丸山タオルさんの社長でした。
当時の丸山タオル社長の秘書だった女性が、私のことを推してくださったのね。その秘書さんが「ここにお店あるから」って社長を引っ張っていらしたの。

そのときは、佐藤可士和さんがクリエイティブ・ディレクターを務める今治タオルのブランディングプロジェクトが始まる前ですよね。

岡田:はい。その2~3年前です。まだ今治タオルも無名な頃で、「いま今治は大変なんです」とご相談を受けました。それで今治までお伺いして、タオルの種類も全部見せてもらって。いまタオルソムリエになる皆さんが机の上で勉強することを全部工場で学ばせてもらったんです。

そこまでしていただいたんですね。

岡田:それで丸山タオルさんと一緒にタオルのエプロンを作ったんです。多色づかいで、ゼロからプリントして、すごくかわいい柄でいろんなタオルを作りました。それを伊勢丹などの百貨店で催事をやったり、ギフトショーに出たり。最終的にはタオル生地でバッグみたいな物も作ったり。そういう二人三脚みたいなことが始まったんですよね。

その後、しばらく間があいていたんですけど、3年ぐらい経ってから急にご連絡があって、今治タオルプロジェクトの発表会を表参道のスパイラルでやるから「美里さん、来てください」って。

可士和さんが入られたタイミングですね。

岡田:はい。可士和さんのおかげですばらしいブランドになって。さすがですよね。「まあ立派になったわね」って、お母さんみたいな気もちで見ていました。(笑)そこで名誉タオルソムリエも作るから、やってもらえませんかってお話をいただいて。
それ以来、私は折々で今治のことを思い出して、いろんな活動をさせていただいてるんですよ。

※IMABARI LIFEインタビューVol.2|岡田美里さん(後編)へつづく

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